病院待合室・駅ホーム… たばこ煙が「野放し」だった頃

写真・図版列車内でたばこを吸う人たち。煙がもうもうと立ち込める=神奈川県の東海道線上り・大磯駅と平塚駅間、1978年撮影

 他人のたばこの煙を吸う受動喫煙対策の先駆けとなった「嫌煙権運動」が今年で40年を迎えた。運動が始まった頃、どこでもたばこを吸えたが、今年7月には、大半の施設内は原則禁煙とするよう法律が改正された。たばこの値段は上がり続け、1日にはたばこ税が増税された。「道半ばだが、たばこの健康被害への理解は徐々に広がってきた」と運動を主導してきた渡辺文学(ふみさと)さん(81)は話す。

40年前の1978年、成人男性の喫煙率は74・7%。旧国鉄(現JR)の禁煙車両は、東海道新幹線「こだま」の各1両だけ。病院の待合室や駅のホーム、職場には当たり前のように灰皿があった。「煙は野放し状態だった」。この年にできた「嫌煙権確立をめざす人びとの会」設立メンバーの一人で、80年以降共同代表を務める渡辺さんはそう振り返る。

「嫌煙権」は、当時コピーライターだった中田みどりさんの造語で、「非喫煙者がきれいな空気を吸う権利」「たばこの煙が不快だと言う権利」などと提起された。

ASAHI.COM

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